『アートプロジェクトのピアレビュー 対話と支え合いの評価手法』(監修:熊倉純子)をネタに、評価について参加者で話し合いました。
ピアレビューをやってみて、具体的に互いの活動に変化はあったのだろうか…
仲間同士の「対話と支え合い」として、課題や価値を発見し合うことも大事だけれど、対外的に価値を可視化していくところまでいけるのだろうか…
その意味では参加型評価の中で使ったことのあるロジックモデルは、価値を言語化・可視化するのに役立った…
評価の客観性や第三者の視点も入ったほうがいいのかなぁ…
評価をコーディネートする役回りも重要そうだし、難しそう…
などなど、いろいろな疑問や感想が共有されながら、実際にピアレビューや参加型評価の経験のある若手研究者からの説明もありました。
いろんな現場、経験、知見や視点が違う人が集まって議論すると面白いですね。
企画者の個人的には、せっかく「芸術」や「アート」の現場に関わる仲間同士だからこそ、互いの活動の“芸術性”の評価にもつながる手法だと良いなと思っています。
芸術性って何を指すのかという問題はありますが、何かしらの社会課題にアプローチする芸術活動が多い昨今、その社会課題をいかに解決できているかといった価値判断基準(それこそが評価疲れの要因でもあって…)だけでなく、そこに芸術的手法がどう活きているのか、どのようにクリエイティブな工夫をこらして場や作品の共創がなされているのかといった側面が、同じ芸術に関わる現場同士だからこそ気づくことのできる価値があるように可能性を感じています。
伝統的な美学・芸術学は、作品があって、それをどう受け止めるのかというやや受動的な価値判断が行われてきたわけですが(そうした芸術批評は衰退しているのですが)、最近は「つくること」の能動的な側面についての「制作のための芸術論」というのが気になっています―制作(能動的側面)に関わる芸術的artisticと、鑑賞(受動的側面)に関わる美的estheticの両方を表すような言葉が英語にはないというJ.デューイの指摘があります。厳密にはものを作る時にも鑑賞者の立ち位置に立ったり制作者の立場に立ったりするので、能動と受動はダイナミズムなのですが。
最近の本だと、『かたちは思考する 芸術制作の分析』(平倉圭)とか『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』(ティム・インゴルド)とか、ちょっと広げると『勉強の哲学』(千葉雅也)もそうなのかなぁ。アートマネジメント的な立ち位置から制作を考えるのはもちろん、文化人類学・芸術人類学のアプローチも気になりますね。
作家個人の「作品」の制作と、共創的なアートの場づくりやプロジェクト型の制作では、何かが通底しているようでいて違いもあるのでわかりませんが。
次は何をしようかな。
シンプルに、あいちトリエンナーレ問題以降、あるいはこのコロナ禍の文化芸術への公的支援の是非も含め、「なぜ芸術に公的支援が必要なのか」という伝統的な命題の議論について、“この日本での”議論の組み立て直しも気になります。
学術的にどう正しいのかという理屈ではなく、対外的にどう説明するのかというパフォーマティブな言表行為として、どのように議論をするのがいいのか。今回の企画の対外的に可視化する芸術の価値・評価の問題にもつながりますが。
ただの飲み会もまたやろー。